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【ゆうゆうLife】病と生きる 映像作家・萩原朔美さん(65)
■黄斑変性で左目視力喪失 闘病もとに新表現を探る
映像作家で多摩美術大学映像演劇学科長、萩原朔美さんは5年前、左目に加齢黄斑変性の症状が現れ、左目の視力をほとんど失った。映像で表現する作家にとって、視力の喪失はつらいことだが、見えなくなることで見えてきたものもあるという。(文・平沢裕子)
◇
異変に気付いたのは、ゼミの学生をモデルに写真を撮っていたとき。一眼レフカメラのファインダーを左目でのぞいたら、生徒の体の輪郭がぼんやりゆがんでピントが合わない。そのときは「老眼が進んだのかな」ぐらいに思い、病院には行かなかった。
3カ月ぐらいして辞書を見たとき、すごく見づらかった。試しに片目ずつ見てみたら、右目は普通に見えるのに左目はアリがはっているようだった。連れ合いに話すと、それはかなりおかしいと。僕は目はずっと良かった。老眼はあるが、目の病気で眼科に行ったことはない。総合病院へ行くと、加齢黄斑変性という病名を告げられ、大学病院を紹介された。
〈加齢黄斑変性は、網膜の中心部にある黄斑が加齢などが原因で変性し、物がゆがんで見えたり、視野の中心が欠けて見えたりする症状を来す。欧米では中途失明の原因のトップの病気で、日本の患者は約70万人と推定される〉
◇
この病気は両目で見ている限りは気が付かない。だから同世代の知人には、年に1、2回でいいから片目で窓枠や柱を見るように勧めている。初期の段階で症状を止めることができれば、視力を維持することができるので。僕の場合、症状がかなり進んでから見つかった。ただ、僕が発症した頃は症状の進行を抑える薬が認可されていなかったから、早く分かっても結果は変わらなかっただろうね。
見えなくなるだけで痛みがあるわけではない。去年、左目の前に黒い柱状のものが見えるようになって、調べたら網膜の中から出血して黄斑部に血腫ができていた。すぐに入院し治療したが、これがものすごくつらかった。
目の中にガスを入れ、ガスの圧力で血腫を移動させる治療で、治療後は血腫が元の位置に戻らないよう、3日間うつぶせの体位で過ごさないといけない。食事のときも下を向いていないといけないので、みそ汁もストローで飲む。寝返りをしてあおむけになるといけないので、眠ることもできない。この治療だけは二度とやりたくないな。
今、左目はほとんど見えないうえ、硝子体(しょうしたい)(水晶体の後方にある透明なゼリー状の組織)の中に血液が入ったためにちらちら影が見えてうっとうしいが、それでも両目を使った方が距離感が出る。片目だと階段を下りるとき最後の一歩を踏み外す。それと、お酒をつぐときにこぼしちゃう。これは困る。自分の体に対してベテランドライバーだと思っていたけど、いつまでたっても初心者マークだと実感しました。
◇
この病気は両目に症状が出る人もいて、両目がだめになる可能性を考えると少し落ち込む。でも、見えなくなるかもしれないと思うことで、見えてくるものもある。季節の移り変わりとか気にしたことがなかったけど、外を歩いていると感じるんだよね。風や光の具合がすごく気になる。
今、水の中から世界を眺めるという映像作品を作っているが、これも目に水を入れるという治療からヒントを得たもの。自分の体に起こったことは全部ネタになる。病気になったプロセスを文章に書いたり、映像作品に転化して表現できたりする。表現することが仕事の僕には、どんな不幸もありがたい。
iPS治療の可能性とか報道されるが、新しい治療にはあまり期待していない。期待すると裏切られるでしょ。期待しないでいると、良いことが起こったとき、よりうれしく感じるから。
◇
【プロフィル】萩原朔美
はぎわら・さくみ 昭和21年、東京生まれ。寺山修司主宰の演劇実験室「天井桟敷」で俳優・演出家として活躍。その後、雑誌『ビックリハウス』の初代編集長を務める。著書に『劇的な人生こそ真実』、母親の作家、萩原葉子との共著『小綬鶏の家-親でもなく子でもなく』など。祖父は詩人、萩原朔太郎。
(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)
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映像作家で多摩美術大学映像演劇学科長、萩原朔美さんは5年前、左目に加齢黄斑変性の症状が現れ、左目の視力をほとんど失った。映像で表現する作家にとって、視力の喪失はつらいことだが、見えなくなることで見えてきたものもあるという。(文・平沢裕子)
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異変に気付いたのは、ゼミの学生をモデルに写真を撮っていたとき。一眼レフカメラのファインダーを左目でのぞいたら、生徒の体の輪郭がぼんやりゆがんでピントが合わない。そのときは「老眼が進んだのかな」ぐらいに思い、病院には行かなかった。
3カ月ぐらいして辞書を見たとき、すごく見づらかった。試しに片目ずつ見てみたら、右目は普通に見えるのに左目はアリがはっているようだった。連れ合いに話すと、それはかなりおかしいと。僕は目はずっと良かった。老眼はあるが、目の病気で眼科に行ったことはない。総合病院へ行くと、加齢黄斑変性という病名を告げられ、大学病院を紹介された。
〈加齢黄斑変性は、網膜の中心部にある黄斑が加齢などが原因で変性し、物がゆがんで見えたり、視野の中心が欠けて見えたりする症状を来す。欧米では中途失明の原因のトップの病気で、日本の患者は約70万人と推定される〉
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この病気は両目で見ている限りは気が付かない。だから同世代の知人には、年に1、2回でいいから片目で窓枠や柱を見るように勧めている。初期の段階で症状を止めることができれば、視力を維持することができるので。僕の場合、症状がかなり進んでから見つかった。ただ、僕が発症した頃は症状の進行を抑える薬が認可されていなかったから、早く分かっても結果は変わらなかっただろうね。
見えなくなるだけで痛みがあるわけではない。去年、左目の前に黒い柱状のものが見えるようになって、調べたら網膜の中から出血して黄斑部に血腫ができていた。すぐに入院し治療したが、これがものすごくつらかった。
目の中にガスを入れ、ガスの圧力で血腫を移動させる治療で、治療後は血腫が元の位置に戻らないよう、3日間うつぶせの体位で過ごさないといけない。食事のときも下を向いていないといけないので、みそ汁もストローで飲む。寝返りをしてあおむけになるといけないので、眠ることもできない。この治療だけは二度とやりたくないな。
今、左目はほとんど見えないうえ、硝子体(しょうしたい)(水晶体の後方にある透明なゼリー状の組織)の中に血液が入ったためにちらちら影が見えてうっとうしいが、それでも両目を使った方が距離感が出る。片目だと階段を下りるとき最後の一歩を踏み外す。それと、お酒をつぐときにこぼしちゃう。これは困る。自分の体に対してベテランドライバーだと思っていたけど、いつまでたっても初心者マークだと実感しました。
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この病気は両目に症状が出る人もいて、両目がだめになる可能性を考えると少し落ち込む。でも、見えなくなるかもしれないと思うことで、見えてくるものもある。季節の移り変わりとか気にしたことがなかったけど、外を歩いていると感じるんだよね。風や光の具合がすごく気になる。
今、水の中から世界を眺めるという映像作品を作っているが、これも目に水を入れるという治療からヒントを得たもの。自分の体に起こったことは全部ネタになる。病気になったプロセスを文章に書いたり、映像作品に転化して表現できたりする。表現することが仕事の僕には、どんな不幸もありがたい。
iPS治療の可能性とか報道されるが、新しい治療にはあまり期待していない。期待すると裏切られるでしょ。期待しないでいると、良いことが起こったとき、よりうれしく感じるから。
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【プロフィル】萩原朔美
はぎわら・さくみ 昭和21年、東京生まれ。寺山修司主宰の演劇実験室「天井桟敷」で俳優・演出家として活躍。その後、雑誌『ビックリハウス』の初代編集長を務める。著書に『劇的な人生こそ真実』、母親の作家、萩原葉子との共著『小綬鶏の家-親でもなく子でもなく』など。祖父は詩人、萩原朔太郎。
(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)
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