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“宇宙の音楽”探る冨田勲さん~映画「おかえり、はやぶさ」も担当



 日本におけるシンセサイザーの草分け、冨田勲さんは、3月10日公開の映画「おかえり、はやぶさ」の音楽を担当している。音、そして音響を探求し続けた冨田さん。その興味は宇宙へも広がっている。「音の宇宙」と冨田さんとの「はじまり」を聞いた。



 戦中、もののない時代。天体望遠鏡を自分で作った。灯火管制で、夜は暗闇が支配する世界。星も月も近かった。

 老眼鏡のレンズと、虫眼鏡のレンズを組み合わせて、筒は節を抜いたモウソウ竹。「月がレンズに収まりきらない。初めて大きな月を見たときはびっくりしました。いってみれば、自分の『目』が月に近寄って見ているようなもの」。少年は、想像力で何千キロも離れた月に寄り添った。



 その天体望遠鏡で太陽の黒点も見た。長波ラジオに、明け方混じる音「ドーンコーラス」の原因が、太陽の黒点にあると何かで読んだからだ。いつ空襲警報が鳴るかわからないため、夜通し付けっぱなしのラジオから、ある朝、鳥のさえずりのようなドーンコーラスが聞こえた。少年はレンズをろうそくのススで黒くした望遠鏡から太陽をのぞいた。黒点が見えた。

 宇宙の現象が、この地上で美しい音を聞かせてくれる……。「自然の音の中で、いまだに心地よい音はないか、探し続けていますが、人の心に寄り添ってくる音でなければなりません。宇宙からの音で、今のところ『ドーンコーラス』を超える音はなかなかありません」



 冨田さんの作品には、宇宙に関したものが少なくない。シンセサイザー音楽としては第一作になる「月の光」、そして冨田さんの名声を高めた「惑星」「宇宙幻想」。そして去年は、「惑星」をリメイクし、オリジナル曲「イトワカとはやぶさ」を加えた新アルバム「惑星 ULTIMATE EDITION」を発表した。親交の深かった、日本の宇宙開発の父とも言われる糸川英夫博士への「レクイエムへの意味も込めています」。



 その糸川博士の名前を冠した小惑星「イトカワ」から、小惑星探査機「はやぶさ」が帰還したのが2010年。「7年もかけて、しかも途中行方不明になりながらでしょう。すごいですよね」。冨田さんも感動した一人だった。そして、今回の映画「おかえり、はやぶさ」の音楽を担当することになる。



 何と言ってもクライマックスは、「はやぶさ」が地球に戻ってくるシーン。そこに使われたのはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「愛の死」のテーマだった。「これは、話をいただいたときから決めていました。このシーンにはこの曲しかないと」



 地球に近づく「はやぶさ」は、やがて大気との摩擦熱で光をまとい、幾筋かの輝く線を描きながら燃え尽きる。見るものの感情に寄り添い、「悲しみ」「いとおしさ」「切なさ」をない交ぜにした気持ちの、自然な盛り上がりに導いてくれる。選曲はもちろん、一音一音をゆるがせにしない冨田さんならではの丁寧な「音楽作り」が生きている。



 慶応大学文学部在学中に朝日新聞社主催の合唱コンクールの課題曲募集に1位入選したことから、プロの音楽家への道を歩むことになる。NHK大河ドラマの音楽も作ったり、オーケストラも指揮をしたりと、好調な音楽家活動だったが、物足りなさを感じていた。「オーボエはオーボエ、ヴァイオリンはヴァイオリンと、音そのものはワーグナーの時代から変わりがない。自分だけの音、新しい音が欲しいと考えていました」

 そこで出会ったのがモーグ・シンセサイザー。1972年にアメリカから輸入した。試行錯誤を繰り返し、シンセサイザーで最初のアルバム「月の光」をアメリカで発売したのが74年。グラミー賞にノミネートされ、「TOMITA」の名前は世界に広がった。

 「忙しくても、全部自分でやるんです。確かに、決まった音ならスタッフでもできるかもしれませんが、そればかりになると、新しい音楽が作れなくなってしまう。みなさん『生』の音を珍重しますが、実は、オリジナルで作ったシンセサイザーの音は全部違う。YMOにはYMOの、僕には僕の音があり、違いははっきりと分かります」。



 インタビューの最後、「うまく映り込んだね」と一言。向かいのビルの窓に東京湾を行く船が反射していた。「昔のように、無理をしなくなった」と、冨田さんは言う。しかし、世界へ、宇宙へ耳を澄まし、目を凝らす……探求者の好奇心は尽きることがない。

(取材/文・ヨリモ編集デスク 上伊沢沖宏)





(この記事は音楽(読売新聞(yorimo))から引用させて頂きました)



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老眼は病気ですか

49♂です。45くらいから近くのものがボヤけるようになりました。

疲れめかと最初は思っていましたが銀行の窓口に置いてある老眼鏡を試しにかけてみると見違えるようによく見えました。

遠くのモノは以前からよく見えます。

これは老眼ですか?

老眼なら病気ですか?

以前、老眼を治すというタイトルに引かれて読んだ本にトレーニングによって目の筋肉を鍛えれば老眼でも治ると書かれていましたが、

目が疲れるだけでよくなりません。



眼鏡をかける以外に治療法というものは存在しないのでしょうか。

専門の方、よろしくお願いします。

(この記事は「教えてgoo!」より引用させて頂きました。)



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老眼と乱視 歳をとると、老眼になることがあると思いますが、 歳をとると、乱視に...

老眼と乱視

歳をとると、老眼になることがあると思いますが、

歳をとると、乱視になることってありますか?

その場合、その乱視は老眼の一種と言えますか?





- 回答 -

◆補足◆ 拝見いたしました。



年齢の確かな区切りはありませんが、40代前半からが多いです。

度数変化はそのものズバリで【衰え】ではありません。

例えばお子さんが近視が進むのも度数変化です。

対して調節力の低下は【衰え】です。

水晶体の硬化、毛様筋の力の減退です。



太ったり痩せたりするのは度数変化と一緒で、

若い時ほど走れなくなったのが衰えというのと

同じようにお考えいただければ (^.^)



因みに質問者様は片目が正視で片目が乱視ですが、

仮にそれを眼鏡で補正して、両眼とも遠くが見える

状態(眼鏡等をかけたまま)にしたうえで、近くがきちんと

見えていれば老眼ではありません。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



歳をとって乱視が出てくることはありますが、

老眼の一種ではないと思います。

歳をとって(いくつから?)来た時の、度数変化が

老眼ではなく、加齢による調節力の減退が老眼

ですから、近視が進んでも遠視が入っても乱視が

出てきてもそれは老眼の一種ではないです。(^.^)



(この記事は「Yahoo知恵袋」より引用させて頂きました)



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株主利益ばかり重視すると行きつく先は「一将功なりて万骨枯る」日本に - 北野 一:JPモルガン証券

【村上龍からの質問】「雨後の竹の子」のように成功・成長企業が日本にあふれ出るためには、何が必要なのでしょうか。



【回答】

成功する企業が雨後のタケノコのように続々と誕生する条件。人類史的に言えば、「株式会社」や「特許制度」のような社会インフラの整備が、その必要条件であると思います。正確な統計を持ち合わせておりませんが、「企業」が激増したのは、それこそ、数千年に及ぶ人類の歴史のなかでも、この100年、200年のことではないでしょうか。それは、リスクに挑戦する特異な人物を、社会に恩恵をもたらす者として、守り育てる仕組みが整ってきたからだと思います。



そう考えると、この10数年の日本企業の不振は、大きな流れの中では、ちょっとした誤差なのかもしれません。実際、「失われた20年」のなかでも、2000年頃のITバブル、2006年前後の「日はまた昇る」ブームの時には、この日本においてさえ、IT企業や不動産会社が、雨後のタケノコのように生まれました。ただ、残念ながら全てが成功したわけではなく、既に消滅した企業がたくさんあります。もっとも、それもまた当然のことでしょう。米国の自動車産業だって、何千社もあるなかから、最終的には2、3社しか生き残らなかったのですから。



ところで、この10数年の日本はちょっとした誤差かもしれないと言いましたが、今を生きる生身の人間からすると、運が悪かったなぁと、そう簡単に納得できるものではありません。やはり、誰かのせいにしたくなります。今も、まさに労使の間で、春闘という罵りあいが始まりました。私は、彼らの議論のなかに、少しヒントがあるように思います。経営思想の転換が重要ではないかと思うのです。連合が経団連を批判して言っている言葉、「わが社だけがうまくいけばいい」という発想からの脱却がカギを握っていると思います。



経団連の「2012年版経営労働政策委員会報告」(以下、報告)の論理は、円高やら震災の打撃やら欧州の債務問題など、外性的な要因による経営環境の悪化を前に、ベースアップは「論外」だし、定期昇給についても「延期・凍結も含め、厳しい交渉」は避けられないというものです。一方、経団連の「報告」に対する連合の反論は、デフレや円高というのは外性的なショックではなく、経営者の近視眼的な経営による人災だというものです。従って、分配を正常化すれば、デフレ及び円高の克服につながる筈だと。



要するに、連合は、企業経営の目標は利益ではなく、付加価値額の極大化であると主張しているわけです。1990年代にバブルの崩壊を経験した我々は、それを反省し、経営に規律をもたらすべく、ROE重視の経営に舵を切りました。ROE重視とは、利益重視であり、すなわち株主のために働くことを意味します。このROEを刹那的に高めることは可能です。投資も手控え、人件費を節約すれば出来ます。ただ、これをしばらく続けると、結局、「一将功なりて万骨枯る」。国内需要が落ち込み、元も子もなくなることになるわけです。



それが企業を蝕み、企業が弱体化すると、国家財政の屋台骨も揺らぎます。しかし、日本のマスメディアは、牧野洋さんの新著「官報複合体」(講談社)が喝破しているように結局、権力目線ですから、企業の成長が大切だ、財政再建が焦眉の急だと大騒ぎするだけです。社会全体の底上げを図るのではなく、上澄みだけきれいにしようという発想になっているのです。まさに、ロナルド・ドーアさんが指摘しているように「今の日本には「憂国の士」はいっぱいいるが、…「憂国民の士」、「憂社会の士」がいなくなった」(「金融が乗っ取る世界経済」(中公新書)ということです(「憂国の士」には、「憂企業の士」をつけ加えても良いでしょう)。



我々は、この20年間、アングロサクソン的経営を誤って輸入した面はなかったでしょうか。単純にROEを上げれば良いと。そうではなく、様々なステークホルダー(株主、債権者、労働者、下請け企業、地域社会)の満足度の総和を極大化するような方向を目指すべきであったと思います。むろん、こうした目標には、これをやれば達成できるという方程式があるわけでもありません。連合が主張するように、分配を変えれば良いかというと、そう単純でもなく、ともすれば「努力目標」あるいは「精神論」になってしまいます。



ただ、私は、こうした「努力目標」や「精神論」を是とする経営思想が、やはり必要なんじゃないかと思います。それが、冒頭の社会インフラという必要条件に加わった時に、活気も蘇ってくるのではないかと。そんな気がしております。



JPモルガン証券日本株ストラテジスト:北野一





(この記事は経済総合(村上龍 Japan Mail Media)から引用させて頂きました)



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近眼で老眼です

近眼が進行し、老眼も進行しています。

新しくめがねを作らず、今のままで頑張っていますが、

目のためには新しく適正なめがねを作った方がいいでしょうか?

現在、本を読むのは裸眼でOKなのです。

(近眼と老眼が相殺しているという状態でしょうか?)

よろしくおねがいします。

(この記事は「教えてgoo!」より引用させて頂きました。)



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